Vol.05 志賀 滋之さん
(2023.08.29 掲載)
しっぷろインタビュー5人目は、志賀さんにピアスタッフとして働くきっかけになったこと、今どのような思いを持って働かれているのか、お話を伺いました。志賀さんは現在、埼玉県所沢市にある地域活動支援センターと地域生活支援センターを兼務されています。業務として、他の当事者の方、病院職員の方と一緒に、精神科病院から退院するためのお手伝いをしたり、ピアサポーターに興味のある人と共に「ピアサポートとは何か」という内容の講座でグループワークを担当されています。是非お読みください^^
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年代:50代
地域:埼玉県
勤務先:
働いて何年目か:ピアスタッフとして17年目
※地域活動支援センター、地域生活支援センターとは…心の病を持つ方一人ひとりが、地域の中で安心して自分らしい生活を送れるようサポートする場所を言います。
生活支援センター 所沢どんぐり
地域活動支援センター 所沢こぶしの家

志賀さん、この度はインタビューにご協力くださりありがとうございます。まずはじめにピアスタッフとして働くようになったきっかけや経緯について伺ってもよいでしょうか。
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志賀さん
わたしは、いま雇用されている法人内のB型事業所に通所しつつ、当事者活動を毎週土曜日に行っていました。加えて、近所の福祉系大学の大学院生と有志でピアカウンセリングの勉強会をしていました。
けれども、私はピアスタッフを目指していたわけではなく、そもそもピアスタッフという言葉が身近になるのはその数年後のことでした。ピアカウンセリングや当事者活動を続けていた主な理由としては、事業所に初めて入った時の仲間の話し方や聴き方がとてもゆっくりで穏やかで結論を急がず、それに対して私の話がとても早口で結論を急いで話してしまっていて、みんなと一体感が得られず隔たりを感じたからです。理由は後述しますが、とても偏ったピアサポートでした。
私の
ピアサポート
の出発点

当時30代後半にさしかかり、このまま事業所で働いて老後まで過ごせるのかが気がかりでしたし、もう、一般企業でクローズで服薬しながら満身創痍で働くには先が長すぎました。そして、ゆっくりで穏やかな仲間と過ごしているうちに、私が守られている気持ちになりました。
傷つき、乾いたスポンジのようになった心が潤いを取り戻していく時間でした。紆余曲折はありましたが両親とも話し合い、今の事業所でお世話になることになりました。辛さを味わい乗り越えてきた皆の優しさに触れていたいと私は強く思い、通所することで笑顔が増えたことが両親の心を動かしたようです。今でも思い出すのは、現事業所に通う前に行った楽しいはずの家族旅行の写真を見ると、いずれも能面のように無表情だったことです。
事業所を続けたかった理由


そうだったんですね。ピアスタッフとしてはベテランの域に達する志賀さんのツールを教えて下さってありがとうございます。
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志賀さん
正直に打ち明けますと、法人理事長から、通所して早々に当事者体験発表の機会やグループホームの世話人などの仕事をいただきました。けれども、私はグループホーム の仲間や平日働いている事業所の仲間に、当事者で障害を持っていると言えず、「服薬はせず、ボランティアでやっています」と言い続けた辛い時期がありました。当事者体験発表も今思えば自分を偽る内容でした。
ある特定の人にしか服薬していることを伝えていませんでした(ピアカウンセリングの仲間や当事者活動のメンバーには伝えました)。それゆえに、グループホームでは変な言い方になりますが、仲間であろうと必死でした。さらにグループホームに初めて夜勤に入ったときに私がグループホームのルールを全く知らないでいたら、皆さんが全部教えてくださいました。その優しさに心が震えました。そして食堂にいる皆さんの話をとにかく聞くことを専念しました(おかしなことにそれが後の私のピアスタッフの根幹になるのです)。
偏った
ピアサポートの理由


いま以上に、ピアサポートとは何か?そしてピアスタッフとは何者か?についての共有理解がなされていなかった17年前のことを思うと、志賀さんにしかわからないご苦労が沢山あったのだな…とお聞きしていて、感じました。
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志賀さん
法人理事長は、そんな私のことをご存じだったのだと思います。理事長は、当時の呼び方では当事者スタッフに推薦して、法人が大きかったので、私のことを知らない人ばかりの事業所に配置替えして下さいました。そして、改めて当事者であることを表明する機会を作って下さいました。それが私のピアスタッフへの第一歩でした。平成18年(2006年)の新年のことでした。そして服薬していることを伝えてなかった人にも巡り巡って伝わることになるのですが、不安とは逆に以前と同じように相談をしに、私のいる事業所にわざわざ出向いてくれる人もいました。